願望実現の秘訣

私の体験した悟り、ニルバーナ、一瞥体験

2021年9月13日

こんにちは、かおるこです。

ここでお話することは、ちょっとぶっ飛んでるお話なので、読む人を選ぶと思うし、全てを理解してほしいというものでもありません、

もともと私は、スピリチュアルをエンターテイメントとして捉えていたほうなので、良いことがおこったら、引き寄せたね~、とか、宇宙に感謝~、とか、占いで一喜一憂したり、のタイプでした。

(今思うと、信じていなかったのかなw)

2017年の夏に体験した【自分が全てで、全てが自分】という感覚は今も私の選択のベースにあり、自分の認識が全てひっくり返った今、信じる、信じないということではなく、もはやそれしかありえない、という感覚で生きています。

今日は、自分が経験しただろう「一瞥体験という名の現象」を、薄まっていく感覚とともに、取り戻しつつある言語化能力を使って、想いのまま、書き記していこうと思います。

私がこのページで「あれ」とか「それ」など、抽象的な言葉を利用しているのは、私が垣間見た、五次元?ワンネス?宇宙意識?(名前はどうであれ)あの世界には、言葉がないので、表現する手段を持たないからです。

読みづらい部分もでてくるかと思いますが、今の私ができる言語化の全てなので、大目にみていただけたら幸いです。

私の一瞥体験

一瞥体験と思われる「それ」は、「全てがあって、全てがない」悟りの世界を、一瞬だけ垣間見た出来事でした。

2017年9月にわたしが体験した「それ」については、その瞬間「あぁ、これは一生かけても、言葉で表現できるものではないな」と理解しましたし、今でもそれは思っています、

なぜなら「その世界」には言葉がなく、感覚しかなかったからです。

言葉というものは「この世界」で便宜上に作られた記号にしかすぎないと、感覚的に確信したからです。

全てが感覚でした。

思考もありませんでした。

ふわっと、そう確信したのです。

2017年の「それ」に、名前がついたのは、2年後の2019年12月です。

その二年間の間、絶対的な感覚が時間と共に薄れていく中で、社会的に良しとされているものと、自分との価値観に大きな乖離ができてしまい、混乱が生じていました。

そんな葛藤の中、先人たちの経験談を探し始めました。

どうやら「それ」は、一瞥体験という、悟りの世界を、ほんの一瞬だけ垣間見たという出来事だということがわかりました。

垣間見ただけなので、その感覚が日々失いつつありますし、私自身、悟った人では決してありません。

この話をすることも、自己顕示欲につながるような気がして、今までは、ほぼ誰にも伝えていません。

今でも煩悩まみれで、日々修行の人生に変わりはありませんが、絶対的な安心感だけは、体験前と体験後では、体感として変わったことだけはわかります。

そんな体験談を、まとまりのない文章になることは覚悟しつつ、

  • 自分が経験したプロセス(どんな心理状況だったか、環境とか)から、
  • 体験後の社会との整合性で苦しみがうまれたこと、
  • 苦悩から抜け出しつつある今、

についてここで語らせていただきたいと思います。

もし、あなたが一瞥体験やアセンションを求めておられるなら、この話は、少しは役立つかもしれません。

2017年9月の一瞥体験

「それ」は、朝、目覚めたときに、ふわっと訪れました。

「わたし」という存在などなく、「全てがあって、全てがない世界」でした。

  • うわ、完璧じゃん
  • 愛とか幸福感とかじゃない、全て完璧、有機的なものがなく、無機質、絶対の世界
  • 善も悪もない
  • 言葉も時間もない
  • 「わたし」っていうものがないって、こういうことだったんだ、、、
  • 今まで自分で生きていたと思っていたけど、生かされていた
  • なんで地球に線をひいて、あーだこーだ言っちゃってんだろwウケル
  • 貯金、いらないー!全てあるのに、なんで貯めてるんだろwウケル
  • なんで洋服とか着ちゃってるんだろ、そのままで完璧なのにwウケル
  • あぁ~、この世界が完璧すぎて、暇すぎて、退屈だから、制限のある世界を遊んでいるんだな、まじ、リアル「神々の遊び」じゃん(笑)ウケルw
  • 私たちは、コントラストを楽しんでいるだけなんだなぁwウケル
  • 悩めない、もともと悩みなんてないのに、悩めないwウケル

言葉が汚くてすみません(笑)その時、自分が瞬間的に思ったこと、言語にできたことを書き並べてみたら、こんな感じになってしまいました。

思考がないので、感想しか浮かんできませんでした。

本当は、光をみた!とか、天使の声を聴いた!とか言えたらいいんですが、そのような属性は、全くありませんでした。

多分、神様とかエンジェルとか、物体がある世界の、そのもう一つ上の次元を垣間見たんだと思います、

そこには全てがあって全てがない、愛という言葉も陳腐になる、完全の世界でした。

私たちはもともと、完璧な世界に生きているんだと深く実感したのです。

  • 神様とか、天使悪魔とかは、人間が作った概念であり、二元性のある地球で生まれたものだな、と思いました。
  • スピリチュアリストたちが語る「天使の声」「前世来世」とかも、「うん、なかったんだね」と思いました。
  • 我々は、問題を作っては解決する、という遊びを、ただただ繰り返し、楽しんでいるだけなんだな、と思いました。
  • この身体は借り物で、乗り物で、一瞬舞い降りただけの無機物?ほんの一瞬なのかも、と思いました。
  • 絶対の世界からみると、喜びや不安、苦しみ、悲しみも含めてすべてが完璧で、ギフトなんだな、と思いました。だから、スピリチュアルを仕事にするということは、これらを奪うことになる?この意味を心底理解している人が少ないんだろうなぁ、って思いました。

体験したあの一瞬の後に、こんな思考が生まれたのを覚えています。

愛という定義

あの世界を「愛」と表現される方もいらっしゃるのですが、わたしには地球上で使われている意味での「愛」という言葉のものには思えませんでした。

感動で涙、とかもありませんでした。

感動とかっていう「感情」も、こちらの世界のものなので、発動しなかったのだと思います。

絶対的な世界とは、無機質で「スン」としていました。

でも、「それ」が目新しいものに出会った感覚ではなく、「あぁそうだった」という感覚です。

今、この瞬間に、「空気が吸えて私は嬉しい」と泣く人っていないと思うのですが、それぐらい「当たり前」の感覚でした。

「愛」とは分離によって認識されるものなので、分離のない世界に「愛」という概念は存在しないようです、

完全にひとつになれば、「愛」さえも「無」に還るんだと思います。

「幸せ」に対しても同じでした。

幸せになりたいとかではなく、既に絶対的な幸せの中にいたんだった、と忘れていたことに気が付いた感覚。

この絶対的な感覚は、時間の経過とともに消えていますが、私の価値観はその時に180度ひっくり返りました。

自分を生きるということの本当の意味

一瞥体験後、様々な発見が止まりませんでしたが、強烈に感じたことと言えば、自分の人生は自分で決められるということでした。

これは、引き寄せの法則とかで積極的に願いを叶えていく、という能動的なものではなく、もう少し受け身なニュアンスです。

私たちは生きていると思っていたけれど、今まで自分で生きていたことなんて一つもない、全ては生かされていたので、

起こる現象を映画のフィルムのように眺めるのが人生なのかも。

起こる現象を現象のまま認識し、それを幸せか不幸せかをジャッジするのは自分次第なんだという気づきです。

よって、幸も不幸も、本来はない。

決めるのは自分。

これが本当の自分軸で生きるということ。

例えば「人との別れ」についても、周りから「不幸な現象だったね」と決めつけられても、あなたにとって「幸せ」であれば、それでいい。

もし過去に「不幸」と感じた現象があっても、今、思いっきり幸せであれば、

それら過去の出来事は、今の幸せを表現させてくれた最高の宝物なんだなぁ

そんなことを考えていたら、生きること全てが、愛おしい、という気持ちに包まれていました。

本当の「ありのまま」がわかった。

インナーチャイルドの癒しなどで、過去を思い出そうとする方法もあるそうですが、

過去に起こった現象を変えることは不可能で、変えることができる唯一の方法は、今のあなたが幸せであるかどうかということ。

今が幸せであれば、過去の出来事の解釈なんて、どうにでも変えることができるものだと思いました。

全ては「今」という意味が、やっとわかった気がしました。

 

さて、困った。言葉にできない

私は元来、書くことが大好きな人でして、感じたこと、思ったこと、20代の頃から手帳にぎっしり残すのが好きだったのですが、この経験をしたときに

言葉があるから、境界線がうまれるのだろうな、

わたし、とか、あなたとか

日本、とか、アメリカとか

ただの地球なのに、、、

言葉こそが分離の一番の効果をもたらしている(だから聖書には「はじめに言葉があった」と書かれているのか、世界を創造した時に言葉が必要だったんだな、なんて納得)

なんて考えているものだから、言葉を書くことさえも放棄し、ただただその感覚の余韻に身をゆだねておりました。

テレパシーで伝わる、って本気で思っていました。

なので、その頃の記録がほぼありません。

絶対的な自己受容感、人生への深い信頼、無敵のように感じていたことを覚えています。

人間やめますか?その後訪れる虚無感

数か月、ただただその安心に委ねて生きていることは、本当に幸せでした。

感じるままに。

ある時、久々に映画をみたのですが、楽しみ切れない自分をみつけました。

  • 結末がハッピーでもアンハッピーでも、どちらでも良い、
  • 苦しみなんて本当はないから、乗り越えていく主人公に共感ができない。
  • リアルな世界ででも、周りで悩んでいる人がいても、それもOKだと思えるので、共感することができない
  • 人としてダメとは思いつつ「悩めて良かったね」と、本気で言ってしまいそうになる、

どっちでも同じ、完璧だから、どっちでもいいよ、という感覚

あれ?わたし社会で生きていける?

人生、詰んだかも、と思いました。

人生は映画や小説と同じ、シナリオです

挑戦して、失敗して、乗り越えて、成功することで、主人公に感情移入して楽しめるのです。

「全ては完璧で、今まで自分で選んできたものなんて一つもなかった」と感じてしまってからは

推理小説の結末から読んでしまったような、、、

プロセスを楽しもうと地球に降りてきたのに、それをすっ飛ばして、ゴールをチラ見してしまった感

心から楽しめない、、、

感情がわきあがらない、、、

何より、欲求がなくなっていくので、行動する意味もわからなくなってました。

悩むことさえ、できない、、、

なぜなら、もう完璧であることを知ってしまったからです。

後から知りましたが、このような状態は、予期せず神秘体験をしてしまった人がよく陥ってしまう落とし穴のようなものなんだそうです。

鬱ではないけれど、ネガティブ性のない鬱状態のようなものが続きました。

 

もう一度、あの感覚を味わいたい

私の「その体験」に対する名称をみつけたときに、様々な方の体験談を読みました。

  • どのような体験だったのか、
  • どのような時に、「それ」が起こったのか、

など

体験者に共通しているのは、身体的トラブル、もしくは、肉体的トラブルをおこしているとき

でした。

私自身も、2017年の5月に、原因不明の不調で肉体的なエネルギーが枯渇していました。

その時の体験は当ホームページの「脳波測定との出会いについて」に書かせていただいてます。

自分の身体が思い通りに動かない、生命力の低下、強い危機感から、今まであまり信じることのできなかった「気」や「プラーナ」「精神体」などを強く感じるようになりました。

辛いと友人に吐露していると、彼女がとあるヒーラーさんを紹介してくれて、私はこれもご縁とタイミングかも、と伝授というものを受けてみることにしました。

ヒーラーさん曰く、伝授とは「大いなるもの」のようなものから直通でエネルギー回路を繋げる、というものだそうです。

受けた二日後に、「それ」はやってきました。

後日談ですが、その後、何度もその方の伝授をおかわり(笑)したのですが、同じ体験をすることはありませんでした。

 

多くの一瞥体験の経験者が語る、きっかけの共通項

これらの現象に興味がある方へ、一瞥体験を引き起こすきっかけみたいなものを、今の私のわかる範囲で記してみますね。

精神エネルギーや身体エネルギーについては、森羅万象をただただ観察し、自然学、人間学へと発展した算命学にヒントがありました。

算命学には、精神のエネルギーと、身体(エゴ)のエネルギーの2種類が存在するという教えがあります。

人間とは、固体としての身体(エゴ)と、それを精神エネルギーが包んでいるものなのですが、

過労や病気などで個体としての身体(エゴ)が限界に来た時に、精神エネルギーが表面化し、ワンネス、一瞥体験や神秘体験が起こりやすいと分析されておられる方がいて、

確かに、私自身の一瞥体験も、体調不良がトリガーになっていますし、

知人の男性の話では、白血病で身体が極限状態だったときに、人ならざるもの(霊のような)をよくみてたけれど、元気になったら見ることができなくなった、とか、

お坊さんがする「修行」も、肉体の限界ギリギリに身を置くことで、その先の精神世界をみるためですし、、、

身体の弱体化が、こうした神秘体験を引き起こすという説は、自分の体験から照らし合わせても、合点がいきます。

自我、エゴは維持するには体力が必要、体力が落ちたときは実は目覚めのチャンス

これについては、わたしより上手に解説してくれるサイトがあるので、興味ある方は、ぜひ読んでみてください↑(お任せ気味w)

これを瞑想で達成するなら、確かに意識が低くなる、まどろみの状態が肉体のエネルギーを限りなくゼロに近づけることとなるのかもしれません。

地球とつながる脳波が7.8Hzと低い意識であることもうなずけます。

 

地球の遊びをとことん楽しんでやろう!と決意した日

一瞥体験後の虚無感を味わいきった2年後です、きっかけは、特にありませんでした。

2019年の12月に、突然「何をやっても一緒なら、とことん地球を遊びつくしてみよう!」という気持ちが沸々とわいてきて、人間に戻った瞬間でした。

生まれなおした感覚、リボーン!人生で一番キラキラしていたかもしれませんw

内側からリアルに熱を持つエネルギーの塊らしいものが湧き出る感じを、みぞおちあたりに確かに感じました。

それから、再び自分の身体に戻ってきた好奇心と、行動力で、とりあえず自分が体験した「あれ」について調べてみることをはじめました。

そもそも体験したこと全てを言葉にすることは本当に難しいです。

旅行にでかけてとても楽しい経験をしてきたのに、その感動をどれだけ上手に言葉にしても100%は人に伝わらないもどかしさ、ってあると思うのですが、それに近いような感じです。

しかし、同じ経験をしただろう人と、そうでない人との違いは、言葉をみるだけでわかるようになりました。

頭で理解しているだけの人と、実際に体験した人との言葉が、全然違うことに気づきました。

「言葉なんて不要じゃーん♪」のときに、200冊ほどあった本を全部捨ててしまったので(笑)改めて、本当に必要そうな本を探してみることにしました。

 

言葉にしてみたい

様々な人の体験談を読むうちに、自分も言葉にしてみたいという欲がうまれてきました。

しかし、なかなか言葉にできないもどかしさがあって、いろいろ読み進めているうちに、なぜ言葉にできなかったのかを、脳の仕組みから教えてくれる一冊の本に出会いました。

2008年タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている、ハーバード大学の神経解剖学者ジルボルトテイラーさんの本「奇跡の脳~脳科学者の脳が壊れたとき」です。

彼女の体験記を読んで、まさに自分が体験した「それ」に言葉がなかった理由を知りました。

言語中枢や運動感覚を司る左脳のみを脳卒中で壊した脳神経外科が、右脳だけで生きた世界は、ニルヴァーナ、悟りの世界だった。

彼女の体験によると、言語中枢を司る左脳が脳卒中になったとき、右脳がみせた絶対的な幸福感が、多くの人が語る神秘体験に酷似していたそうです。

そこには言葉というものはなく、全ては感覚、イメージだったと書かれてます。

もう一つ、私の一瞥体験を言葉にしてみたいと思わせてくださった方のブログにも、言葉そのものがすでに分離であるということを教えてくれました。

左脳が司る「言語」の存在が人間の知覚能力を限りなく狭めていることも分かりました。

存在に名前をつけることによって私たち人間が認識・理解できていると思っていることは、単に「境界線」を作っているだけであり、それ自体を表しているわけではないこと

悟りの一瞥体験。突然のスピリチュアルな覚醒が私にもたらしたこと(https://joyledays.com/2018/06/spiritual-glance/)より引用

私が「あの体験」が、なぜ上手に言葉にできないのかが、ここでハッキリとわかったのでした。

 

宇宙意識に近づくとは?本当の意味でのアセンションとは?

ここからは、私の経験から得た推測で話してゆきます。

何かを信じている人には、不快になる部分も出てくるかもしれませんが、スピリチュアルの目指すべき目的は、特別なものではなかったという印象を持っています。

私は、一周回って、今ここの現実に戻ってこられたような感覚を持っています。

その視点から、悟りとは?アセンションに必要なものとは?と、もし誰かに尋ねられたら、きっとこう答えると思います。

意識の拡大

です。

唯一、これだけが宇宙意識に近づく、とか、アセンションとか、(それぞれの名前に全く意味を持ちませんが、わかりやすくするために使用させていただきますね)可能にしてくれるものだと思います。

もっとわかりやすい言葉に変換すると

視野を広くする、視点をあげる

です。

具体的にどうするかというと、本をたくさん読むとか、セミナーに参加するより、

経験をとにかくいっぱいする

です。

海外から日本に帰ってきたときに、いつも見慣れている光景が、違ったようにみえることがありますが、それは、あなたの視野が広がった状態で帰ってきたからです。

視点が少し上になったのです。

角度が変わると受け止め方が変わってきますよね。

日常のちょっとしたことでも、視野を高くすることで、解決策が見えてきます。

悩みがあるところで一生懸命悩んでも、視界が変わらないので、解決方法は浮かばないのです。

視点を変えてみる、できればあげてみる、抽象度をあげていくことで、本当は悩みではなかったことまでいけば、成功です。

また、対極にあるものをいっぱい経験してみてください。

  • 恋愛する、失恋する
  • 成功する、失敗する
  • ド貧乏、お金持ち
  • お腹を空かしまくる、お腹いっぱい食べる

ちょっと極端な例ですが、断食でお腹を空かせまくったり、逆に「もう無理!」ってくらい食べすぎたりすると、「ほどほどが幸せよね」なんて言葉が出ると思いますが、これが悟りの一つです。

少し前に流行ったスピリチュアル手法「手放し」についてもですが、

本当の目的は、コントラストを徹底的に経験したあとに、「もういいや!私にはもう必要ないな」って深い満足を経て、自然に内側からわきあがってくる思考によって勝手に手放れていくのが正しいのではないかと思っています。

満足も不足も、不安や安心も、ポジティブもネガティブも、それぞれのコントラストを徹底的に経験し、積み重ねていくことで、中庸を知ります。

分かったつもりでいるのが、一番、あかんことやなぁと(辛口ですみませんっっ、過去の自分に向けて叱咤激励よ)

結論、考える前に動け

ってなったんです(笑)

 

動くと決めた私がすぐ決めたのが、脳波測定器の購入でしたw

悟りの世界観からみると「何もしない」ということも、その方の素晴らしい経験の一つなので、ギフトなのですが、

肉体をもって生まれてきた以上、動ける分だけ動いてみたい、そんなときに欲としてうまれたのは、知的好奇心を満たす、でした。

私の人生の裏テーマでもある「思考の現実化」の再現性を高めたい!ということを思いました。

基本、全て叶った世界にいるのですが、失っては欲しがることは、この世だけの愉しみです、それを思いっきり楽しんでみたいなと思いました。

ここらへんは、脳波測定器との出会いのページに書いていますが、

世の中の不思議を、可視化してゆければ、安心して日々を創造性をもって生きていく人が増えていけるのではないかなぁ

というのが、私の今の目的です。

 

覚醒体験のその後、忘れる決意

ここまで、長文を読んでくださって、本当にありがとうございました。

私はこのページを書き終えた瞬間に、一瞥体験についてのステージは、これでクリアしたのかもと感じました。

あの体験は、言葉とは対極にあるので、言葉にできた時点で、旅の終わりなのかも?

一瞥体験を言語化することで、お、手放れていくかも、、、という感覚です。

実感として残る「圧倒的な安心感」は、ギフトだと思っているので、これからもきっと揺るがないと思うのですが、なぜそのような考えに至ったかは、、、多くの方の脳波測定をしているなかで、一つの気づきがあったからです。

右脳左脳の相違がなく、10Hzを意識的に出せる人の日常を拝見してて、

裏表がないんですね。

ストレスも少なく、とにかくのびやかに生きていらっしゃいます。

底力が強いというか、もちろん、多くの方に愛されているし、この強さはどこからくるのか、と観察しているのですが、

そういう方は、ほぼ、精神世界にあまり興味がない方です。

スピリチュアルが好きな方々は、真面目で優しいがゆえ、

  • 考えることが大好きです、
  • 自分を哀れに思って欲しいと思っています
  • 誰が言っていた、書いてあったと、情報集めばかりで自分の体験を語りません。
  • 知識量の多さを競い、まるで自慢大会のようになっている人たちもいます。

これ、全部わたしでしたΣ( ̄ロ ̄lll)

これらもしっかり経験したからこそ、思うことは、多分、私たちが望んでいる素敵な生き方とは、もっとシンプルなものだと感じているからです。

私は、これからもっと現実社会にコミットメントしてゆきたいと思っていますし、あれこれ理由をつけて動かないことより、もっと人間くさく生きていこうと思います。

次のステージへ、そんなタイミングだったのかもしれません。

私の戯言を読んでくださったあなたに、心から感謝いたします。

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kaoruko

自身が体験した一瞥体験をもとに、脳波とシューマン共振との関係を探求中。脳波測定器アルファテック7一級取得。京都市内で自身を知るための脳波測定サービスをおこなっております。飲食店オーナー。

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